賭けた男 1
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その通知は、突然に長谷満のもとに届いた。なんていうことのない白い封筒に入っていた。

しかし、その中にはいっていた文章の内容に、満は驚愕した。

 

長谷満は今年37歳になる。中堅所といわれているミステリ小説の作家で、妻は有名な日本画家の娘だった。知り合いの作家の導きで見合いをし、大人しそうな所が気に入って、婿養子にはいり、もう14年になる。ただ、唯一の悩みは「子供が出来ないこと」だった。

 

満は、子供の頃に自宅の火災で家族全員を失っていた。だから、親戚などというものは1人もいなかった。この世のどこかに、自分と血縁関係にある人が欲しい…という願いは切実だったけれど、どれだけ不妊治療をしても「子」が妻の腹の中に入ることはなかった。だから、もう半ば諦めていたけれど。やはり、満の心の中にはいつまでたっても、「この世のどこかに血縁者が欲しい」という思いはあった。

 

その封筒の中にはいっていた便箋には、「1997年に冷凍催眠された市川耕平氏の「解凍」に成功いたしました。つきましては、親族であられる長谷満様にお引き受けして頂きますようお願い致します」と書かれていた。その下には「日本医療委員会 冷凍催眠部門 センター長 井川慶」とあり、住所と電話番号が書かれていた。

長谷満は、ジッとその紙をみつめていた。「市川」というのは満の旧姓であった。久しぶりにみつめる苗字と、その文面をしばらく何度も読み返していた。

 

最近では、「冷凍催眠治療」というのも珍しくなくなってきていた。不治の病の折など、治療法が確立されるまで冷凍催眠をしておく、という治療方法だ。特に、最近はiPS細胞の実用化のせいで、今までは治ることがなかった病というものの治療方法が、どんどんと開発されてきている。それにつられて、「冷凍催眠」治療をしていた患者の解凍も進んでいる、ということだった。

満が呆然と紙を握り詰めているのをみて、妻も顔を寄せてきて、その文面を見つめた。

「市川といえば、あなたの旧姓じゃないの。きっと、貴方の親戚にあたる人なんじゃないの? 電話番号があるから、一度問い合わせてみたら?

妻の花菜はすこし嬉しそうに満の肩を叩いた。花菜は満が「天涯孤独の身」であることにひどくコンプレックスを感じていることを知っていた。だから、もしかしたら身内かも知れない…というその通知に、にっこりとわらって、喜んでいるようだった。

「あ……あぁ」

満は、紙を握りしめたまま、その電話番号に電話をして、井川を呼び出して貰った。

「お待たせしました。センター長の井川です」

電話口の向こうの声は低く事務的なものだった。満が「手紙が届いたのですが…」といい、名前を名乗ると、井川は事務的な口調のまま「えぇ、市川耕平氏の親族を捜すのには、とても骨が折れました」と述べた。

「長谷様のお父様の弟様です。連絡先が、長谷様のお父様になっていたのですが、調べてみたら、すでに死亡されていた、ということで…。しかし、市川氏の「甥」であられるあなたがご存命ということで探したのですがね…。婿養子に入られて、苗字が変わられていたのですね。だから、探し出すまでに、少し時間がかかってしまいました」

満は、「父の弟」という言葉に、なんともいえない違和感を感じた。そういえば、子供のころ、父に弟がいる、などと聞いたことがあるような気がする。でも、それ以上の事はきいたことがない…。だから、当然に、死んでいるのではないか…と思っていた。満は、遠くなっている記憶を必死に掘り返そう…としたけれど、やはりそれ以上は思い出すことが出来なかった。

 

「市川耕平氏の病名は「心臓病」です。1997年当時には確実な治療方法がなかったのですがね。最近でしたら、100%完治する治療法が確立されていますし。それに、長谷様という親族の方を見つけましたので。「解凍」させていただきました。契約通り、もうすでに治療を終えました。」

「はぁ……」

市川は、2000年産まれの37歳であった。1997年というと、自分が産まれるよりも前のことで、随分と古い話のように感じて、なんだか現実感がなかった。

ただ、「つきましては、できるだけ早くに「お迎え」に来て頂きたく思います」といわれたので、満はドキドキとした心臓を抑えるようにして「では…。明日、行かせて頂きます」と言い電話を切った。

 

妻の花菜に「自分に叔父が居たらしい」と言うと、彼女は手を叩いて喜んだ。「よかったじゃない。貴方にも親戚が居たのね!! 明日と言わず、今日にでも迎えに行けばいいのに」といわれたけれど、満はまだ気持の整理ができていなかった。

 

突然に、降って湧いたように「親戚がいる」といわれても…。その日、満は全く仕事が手に付かなかった。

 

翌日に、早速その「日本医療委員会 冷凍催眠部門 センター長 井川慶」の上に書かれている住所まで車を走らせた。思っていたよりもずっと近くて車で40分とかからなかった。

ただ、まだ畑が残っている中に、その巨大な病院のような建物はそびえ立っていた。

受付で名前を言うと、すぐに「担当医師」という男が駆けつけてきた。

そうして、病室まで案内された。6人部屋の一番奥に「市川耕平」は座っていた。医師が着る「オペ着」のような、濃い青色のシャツに同色のズボンをはいていた。

満は、その姿があまりにも華奢なので、一瞬ドキリとした。

随分と遠い記憶になっている自分の父親の顔を思い出した。けれども、目の前の青年と父とに共通項を見つけることは出来ないような気がした。いや、青年と言うのにはまだ少し青臭いような気がした。満がジッとみつめていると、その「市川耕平」もチラと視線をあげて、満の顔を見つめ返した。

「17歳の時に冷凍されたので、「市川耕平」君には17歳までの記憶しかありません。もちろん、身体も17歳の時のままです。しばらくは、身体を少し動かしてもしんどくなるかも知れないけれど。まだ若いし。すぐに馴れると思うから」

医師の説明に「そうか、まだ17歳なのか…。だから、身体も華奢で、未熟な感じがするのだろうか…」と思った。パッと見た感じでは、まだ中学生でも通用しそうな気がした。

それに、目が切れ長で、色が白い。随分と調った顔をしていた。自分の父はどちらかというと、大柄だったような気がする。父との共通項を見つけよう…と満は「市川耕平」の顔を見つめたけれど。やはり、それはどこにも見いだすことが出来ないような気がした。

 

簡単な退院手続きを終えると、医師は「それじゃあ、よろしく」と言い、病院の広いロビーに満と「市川耕平」だけを置いて立ち去ってしまった。満は、なんと声をかけていいのか…と頭の中を活発に働かせた。歳からいえば「耕平くん」とか「君」などというのが適当だろうけれど。関係性からいえば、「叔父」にあたる。その「叔父」にたいして、「君付け」というのはあまりにも無礼な気がした。

「こ……耕平さん…。とりあえず…帰りましょうか」

そういうと、耕平は切れ長の目でチラと満を見上げて「あぁ」とだけ呟いた。

 

満が車のドアを開けて、助手席に耕平を乗せても、彼は無言だった。ただ、その薄い服をきている細い身体に、シートベルトがびったりと食い込んでいるような気がして、満はその薄い胸に一瞬見とれた。

ゴクリと唾を飲み込んでから、あわてて視線を外し、運転席に乗り込んで、来た道を帰っていった。

 

満の心は、来たときとは随分と違っていた。

それは、耕平が想像していたものとあまりにも違いすぎるせいだった。そう、まさかこんな美しく幼さを秘めた美青年だとは思っても見なかった。満は、自分の心の奥に押し込んでいる、秘めたる趣味を暴かれているような気がした。

 

それは、ちょうど「少年から青年に変わるくらいの年頃の男の子」に、なぜだかひどく目を奪われてしまう…という習性だった。そう、電車に乗ったときなど。男子高校生や中学生がつり革にもたれて、楽しそうに離しているるのを見ると、どうしても中で一番美しい顔立ちは誰だろう…などと見てしまう。そうして、特に美しい青年を見つけると、奇妙な達成感に心が満たされる。

 

もちろん、妻の花菜の事は大切に思っていたけれど。自分には、どこか、そういうものに惹かれてしまうという…。奇妙な習性があるりのではないのだろうか…と心のどこかで思っていた。しかし、それを認めることはとても恐ろしかった。だから、今まであまり深く考えないようにしていたのだ。

 

それが、今は、まさしく理想的な青年が、自分の横に座って、だまって車窓の風景を見つめている。満は、ふとしたら、その横顔に見とれてしまいそうになるのを、意識してフロントガラスに見える道の方へと集中させた。

 

だから、来たときよりも、帰り道のほうが、随分と早く感じられた。車を車庫に入れて、助手席のドアを開けると、耕平は黙ったまま降りてきた。

足取りがおぼつかないので、満は耕平の身体を手で支えながら、自宅のドアまで導いたけれど。耕平は無言のまま、何も言わなかった。ただ時折、切れ長の目で満をチラと見上げていた。

 

「お帰りなさい、満さん。え……ええと。はじめまして……」

花菜は嬉しそうに出迎えたけれど、耕平はやはりチラと花菜の方を見ただけで何も言わずに、すぐに目をそらした。

満は、とりあえずリビングのソファにまで耕平を支えていき、ソファに座らせた。耕平はだまって、細いからだをソファに埋めた。

 

満は、どうしても見とれそうになるのを無理に視線を引きはがして、自分は1人がけ用のソファに座った。

間もなく、花菜が珈琲を2客。運んできて、耕平の前と満の前に置いた。

しかし、そうするとほぼ同時に、耕平の前に置かれた珈琲が、彼の手で払われて、絨毯の上に落ちた。「あ」という間もなかった。花菜も大きく目をあけて、床に落ちたコーヒーカップを見つめていた。

 

「珈琲なんか、身体にるいだろう。僕は病人なんだ。カフェインが入っていないものをもってこいよ。気がきかねぇな……」

耕平の口から出た言葉に、一瞬空気がビリと張りつめた。

満はまじまじと耕平の顔をみたけれど、その顔はまたしずかな無表情に戻っていた。しかし、満はその無表情から視線を逸らすことが出来なくなっていた。

 

だから、花菜のほうが、満よりも早くに動いた。

「あ……あぁ。そうね……そうよね。ご…ごめんなさい。お茶を入れるわ」

花菜はあわててタオルで絨毯にこぼれた珈琲を拭いて、転がっていたコーヒーカップを盆の上に載せて、キッチンまで戻っていった。

 

そうして、今度は茶を運んできて、ゆっくりと耕平の前に置いた。耕平は無言でそれを飲んで、じぃっと家の中を見つめていた。

 

「あれはなんだ?

耕平は、壁に掛けられている大型のテレビを指さして満の方を見た。目が合った瞬間。ドキリと胸がたかなった。

「あ……あぁ、テレビ…。テレビだよ。つけてみるかい?

「あぁ」

満がトレビのスイッチを入れると、「うう……うわ」と耕平は目を覆った。

何をしているのか…と一瞬思ったけれど。「あぁ、そうか。1997年の頃のテレビとは随分と違うせいで驚いているのか」と思った。

満は、耕平が過度に反応したので、テレビのスイッチを切った。そうすると、耕平はやっと安堵したように息をはいて、再び茶をすすった。

「ねぇ、ええと……二階の客間を整えておいたのだけど…。その部屋でいいかしら…。北向きの部屋になってしまうけれど…」

花菜はチラチラと満と耕平を交互に見ながら遠慮がちに、盆を胸に抱えていた。

 

花菜の父が建ててくれたこの自宅は、花菜と耕平の2人では余る程に部屋があったので、゛「耕平のための部屋」を用意するのは難ないことだった。

本来であれば、花菜と自分の「子供部屋」になるべき部屋が、三室ほどもあり、客間や物置になっていた。

 

耕平は花菜の言葉には黙っていた。さっきコーヒーカップを払ったことに対する謝罪の言葉もなかった。

「それでいいかな? 耕平さん」

満がそう声を掛けると、耕平は億劫そうに首を縦にふった。

「疲れただろう…。部屋で休むかい?

満がそう言うと、耕平ははじめてまっすぐに満の方を見てきた。

「足がだるい」

そうして、ほの紅い唇から短い言葉を吐いた。

「久しぶりに歩いたから、足がだるい。揉んでくれ」

耕平はそう言うと、右足を、ドンとソファーの前のテーブルに置いた。

その仕草が、さも当たり前のようで、満も花菜も一瞬時がとまったように、身体を動かすことが出来なかった。

しかし、テーブルの上に置かれた白い足を見て、早く反応したのは満の方だった。

「そ…そうだね…。久しぶりに歩いて…だるいだろう」

満は椅子から降りて、床に膝をつけて、その「白い足」を手にもった。華奢なせいか、おもっていたよりもずっと軽いし、骨ばっている。くるぶしまで覆われていた薄い生地のズボンをたくしあげて、ふくろはぎを露出してみた。

 

やはり、膝下のふくろはぎも輝くように白かった。キラキラと蛍光灯の光を反射して、満は魅入られてしまった。それと同時に、ゆっくりと手を動かして、そのふくろはぎを指の腹で押していった。独得の弾力が指を押し返してくる。

満は、両手で足を撫でながら、ゆっくりと揉み込んでいった。まるで、フワフワと夢の中を精神が漂っているように感じた。「あぁ、自分は今、青年の足を撫でている。この独得の、皮膚が突っ張っているような弾力が何とも言えない…。

あぁ、自分は今、跪いて青年の足を撫でている…。

その感覚に酔っているようだった。耕平が左足をさしだしてきても、同じように指を這わせて足を揉んだ。

 

満は随分と濃厚な時間を味わったように感じた。

 

しかし、花菜の「……あの」という声で、ハッと意識が現実に引き戻された。

「あぁ、もう良いだろう。部屋に案内するよ」

満が耕平の足を離して立ちあがると、耕平もふらふらとしながら立ちあがった。

二階に上がっていく背中に、花菜の視線が痛いような気がした。

 

ベッドが置かれている六畳の洋間に案内すると、すぐに耕平はベッドの上に横たわった。

「服とか…。耕平さんものものを買いにいかなくてはいけないね…」

満がそういうと、耕平は億劫そうに「任せる」とだけ言って、ゴロンとベッドの上で身体の向きを変えた。

顔が見えなくなると、満はそのちいさな背中を見てから、リビングに戻った。

 

すぐに、花菜が駆け寄ってきた。

「ねぇ……耕平さんって怖いわ…。どうして……」

彼女の声は震えていた。お嬢様なので、あんな風に接されることがなかったのだろう。

「子供の頃から心臓の病気みたいだったから…。きっと、我が儘に育ってしまったんだろう…。それに、突然「解凍」されで、不安なのかもしれない。しばらくは、彼の相手は私がするようにしよう」

満がそういうと、花菜は「そう」と安心したようにホッと息を吐いて俯いた。それでも、やはり、すこし不安なようだった。

 

しかし、耕平の我が儘ぶりは、想像していた以上だった。まず、朝食に花菜がトーストをだすと、「俺は朝食はパンじゃなくて、飯だ!! 」と言って、テーブルの上に置かれた皿を床に投げ捨てた。花菜が「ごめんなさい」と言って、しゃがみこんでそれを片づけていても、そちらの方にチラと視線をやることもなかった。花菜があわてて御飯をたいて、テーブルの上に置くと、「おせぇな」と呟いた。そうして「おかずがいるだう。卵焼きが食いたい」と淡々とした口調で言った。花菜が慌てて卵焼きを作ってテーブルの上に置いたが、一口たべて「まずい」と言い、それ以上は食べなかった。

食事を終えると、耕平は「シャワーを浴びたい」と言った。しかし、シャワーから出てきても「バスタオルが固い」とか「ボディソープの匂いが気に入らない。俺は無香タイプがいいんだ」「身体を洗うタオルも、もっと柔らかいものにしろ」などと花菜に怒鳴るように強い口調で言っていた。

 

満は、ただ呆然とひどく萎縮していく花菜と、横柄にソファに座って「あんたはグズだ」などと言っている耕平を見つめていた。本来だったら、耕平の態度をとがめるべきなのかも知れない。しかし、耕平の美しい容姿から、そういう酷い言葉が吐かれていると、そのギャップに頭がクラクラとした。

耕平の態度が、あまりにも板についていて、そういう言葉が吐かれることによって、彼の美しさが際だっていくような気がする。花菜は、時折チラチラと満に助けを求めるように視線を送っていたけれど。満は耕平の横柄な態度に見とれていて、花菜をフォローするだけの余裕が無いようにかんじた。そう、ただひたすらに見入ってしまっていた。

花菜は、耕平の着替えを買いにいってきたけれど、やはり買ってきたものにもいちいち「これは綿100%じゃないから着れない」とか「センスがない。こんなダサイものを僕に着させるのか」などと苦情を言っていた。花菜はすっかり萎縮してしまって、「ごめんなさい・ごめんなさい」と言葉を繰り替えずだけだった。

 

ただ、満に対しては、花菜ほどには横柄ではなかった。「本が読みたい」というので、高校生くらいの男の子が好きそうな本…とおもい、簡単な推理小説を渡した。自分にも何か苦情を言うだろうか…と思っていたけれど、彼は「ふん」と言っただけで、だまって受け取っていた。

しかし、1日・2日と経過していくうちに、花菜も限界がきたのか、「誰か、耕平さんのお世話をしてくれる人を雇いましょう」と言い出した。

満は「そうだね…」と言ったけれど。

誰かをやとえば、より耕平の態度が傲慢なものになるような気がした。それに、美しい耕平の姿に、満はやはりどこか惹かれるところがあった。それに、自分に対しては、さして横柄な態度は取らない。

「私が…。しばらくは私が面倒を見るよ。誰かを雇ったりして…。もしもその人を彼が気に入らなかったら、また面倒だからね」

「でも、貴方のお仕事に差し障りがあるんじゃない?

満は花菜の言葉に首を振った。

「いや、面倒を見る、といっても、せいぜい彼が欲求してくるものを買ってきたり。彼の話し相手などをする程度だろう。だったら、別に手間ではないよ」

花菜は「そう…」と言ったけれど、その顔には安堵の色が浮かんでいた。満は耕平の部屋に行き、「これからは、何か用があれば、自分を呼んで欲しい。携帯を渡して置くから、いつでも呼んでくれて構わない」とiPhoneをさしだした。

最初、耕平はその薄いiPhoneを珍しそうに見ていたけれど。満が使い方を説明すると、「うん…」などと案外素直に頷いて、何度か満に電話をかける練習をした。

「すごいものがたるんだね…」そうして、感心したようにぼそりと口にした。

満は、iPhoneを覗き込んでいる耕平の、首筋を改めて見つめた。白い首が、シャツの襟から出ている。彼は感心してじいっとiPhoneを見ていた。

 

1997年の頃からというと、随分と世界が変わってしまっているのかも知れない。そのせいもあって、彼は余計に不安で、花菜に辛く当たっていたのかしれない…。そう思うと、なんとなく耕平が哀れのような気がした。

 

満が「自分がなんでも、君の用を聞くから」と言ってからは、耕平はあまり我が儘を言わなくなった。ただ時折携帯をならして「足がだるいから揉んでくれ」と言ってきたり。「今日の風呂の湯は熱すぎた」などと強い口調で言っていた。

 

ただ、耕平が入ってきたことで、いままでの自分と花菜の均衡の取れた生活が、すこしずつずれていって居るように感じていた。そう、花菜と静かで穏やかな生活を送っていたのに。中に突然に「市川耕平」が洗われた。

満は、彼に魅了され。花菜は彼に萎縮してしまっている。

 

そのせいか、花菜が満に身体を求める回数も増えてきているように感じた。

それは、「夫が耕平に魅入られているのを察知しているせいかも」などと最初のうちは、満もなんとなく自分の秘めたる趣味があけすけになってしまっているような気がして。緊張をしながら彼女を抱いていたけれど。回数が増していくにしたがって、「そうか。いままで花菜だけが独占していた「満」というのを、耕平にとられてしまったようで悔しいのか…」ということが分かった。だから、花菜が求めてくる限りは、満は彼女の欲求に答えた。

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