子供
(1)

栗尾喜吉は子供が好きではなかった。

それは、高校生くらいの時から、ずっと自分の心の深い部分で、泥のように横たわっているように感じていた。

まず、親戚の子供がかわいらしい、と思うことが出来ない。

しかし、最初のうちには、自分にも血縁のある子ができたら、かわいいと思うのでは…という希望もあった。

しかし、妹に子供が出来たとき。その微かな期待も裏切られてしまった。

みんなが「かわいい」「かわいい」と褒めそやかしている自分の姪が、まったく「かわいい」とは感じられないのだ。

むしろ、そうして皆の注目を集めている「子供」というものに、心の奥底から嫉妬心が湧いて出てくる。

そうして、「これのどこがカワイイのだ…」と逆に憎らしくなってくる。

特に、その姪が成長していくにしたがって、「憎たらしさ」の方が勝ってきていた。しかし、それでも「男の子であれば、カワイイと思うことが出来るのかも」という微かな希望もあった。しかし、妹が第2子に男児を出産したときに、その希望も打ちのめされてしまった。

 

そう、男女問わずに、「子供」というものがまったく「かわいらしい」と思うことが出来ないのだ。それでも、社会人として、社会の波に合わせて動かなければいけない。

みんなが「かわいい・かわいい」というものにたいしては、自分も「かわいい」と言わなければいけない。

 

しかし、栗尾喜吉も或程度の年齢になると、どうしても妻を得なくてはいけない…という環境になった。栗尾は銀行員であった。

最近は、現代化している、と言われている中でも、銀行の中では、昔のままの風習的なことが多く遺されていた。男性社員は或程度の年齢になれば結婚をしなければいけない。

女性社員も、30前には結婚退職をしなければいけない。そんな暗黙のルールがあるようだった。

 

だから、喜吉は同じ銀行内の極めて「情が薄そうな女」に眼をつけて、彼女と結婚をした。それは「情がうすければ、あまり「子供が欲しい」とか。自分にたいして絡んでこないのではないのだろうか」という希望があったからだった。

しかし、その女も結婚したら、普通の「主婦」に成り下がった。

「できるだけ早くに子供が欲しい。年をとって産むと、育てるのが大変だから」

そう言われて、喜吉はやむを得ず、種馬のように妻と性交渉をかわした。

 

ほどなくして、自分の子供というものが誕生した。しかし、その自分の子供である男児さえも、喜吉にとっては「かわいい」とか「愛らしい」とおもえなかった。ただ、手の中でずっしりと重たい存在だけが、自分にのしかかっている重しのように感じた。

妻は極めて歓び「かわいいわ。やはり、自分の子供っていうのは、とても愛おしい物なのね」などと喜吉に話しかけていた。

そうなってくると、「情が薄そうだ」と感じていた彼女も、ただ、どこにでもいる「女」に成り下がり、喜吉にとっての魅力は全く無くなってしまっていた。

喜吉は、休みの日など、よく愛おしそうに子供を抱く妻を見ていた。

しかし、子がはいはいをし、つかまり立ちをし、歩き始めて、喜吉の事を「パパ・パパ」って舌っ足らずに言うようになっても、まったく「かわいい」と思うことは出来なかった。

むしろ、それの相手をいちいちして、「かわいい・かわいい」と心にも無いことを言うのに、突かれてきていた。

妻は、息子が二歳程度になったときに、「一人っ子ではかわいそうだから、もう1人欲しいわ。今度は女の子がいいわ」などと言ってきた。

喜吉はそのことにゾッとしたけれど、否定する言い訳も思いつかず、ただ流されるままに第2子を作った。今度は妻の希望通り女児であった。

 

長男と、妹が戯れている姿などを見ると、必ずや「かわいい・かわいい」と皆が言う。特に、自分の両親や妻の両親の、その孫への耽溺振りは喜吉の眼には「異常」としか映らなかった。高い服を買い与えて、菓子やおもちゃなどを次々と持ってくる。

そういう時、喜吉は自分の居場所が内容に感じた。

 

それでも、喜吉は良き父であり、よき夫を演じ続けていた。まったくかわいいと思わない我が子を抱き上げ、定期的に会社帰りにちょっとした菓子やおもちゃなどを買って帰った。それを喜んで、「パパ、大好き」と言われても、喜吉はちっとも嬉しくなかった。

逆に、ストレスばかりがたまっていくように感じた。

 

長男が幼稚園に入った頃、妻が「あの子を私立の小学校にやろうかしら…と思うの。将来のためにもその方がいいでしょう」と言われた。喜吉は自分が働いて得た金が、子供達に浪費されていくことがたまらない苦痛であったが、妻の意見にはしたがった。

それが、「良き父」の姿だと思ったからだった。

しかし、それから子供の「お受験対策」が始まったのには辟易とした。毎晩帰ると、長男の勉強の相手を少しばかりする。妻は「私だけでは、あの子は甘えてしまって、すぐにぐずるの。貴方も少しは勉強を手伝って」といわれれば、拒否することは出来なかった。

 

しかし、喜吉のストレスも、限界近くまで来ていた。

まったくかわいいと思わない男児を相手に、毎晩学習カードなどをさせるのだ。子供がぐずったり、「お菓子が食べたい」などと甘えたりしたときには、苛々と心がささくれだつように感じた。そうして、「パパ・パパ」と身体をもたれかけされたりしたら、ゾッと鳥肌が立つような気がした。

 

だから、その晩だけは、妻に「残業で遅くなるから、子供の勉強を見ることが出来ない。先に寝かせておいてくれ」と電話をした。そうしておいて、定時に銀行を出て、いつも帰る方とは違う電車にのった。これといって、目的があったわけではない。

ただ、なんとなく「現実」から逃れたいような気分であった。

 

そうしていると、電車内でちょうど小学生くらいの男児を見かけた。塾のロゴの入った、青いリュックを背負っている。半袖と半ズボンから、白い皮膚が見えていた。子供らしく日焼けした手足だったら、喜吉の眼にも止まらなかったかも知れない。しかし、その子供の手足の白さが、まるで「子供ではない」ように見えて、なんとなく興味をひかれた。

男児は塾のプリントのようなものを見ていたけれど、ちょうど新宿駅で降りた。

喜吉は、とくに意識をせずに、その少年のあとにつづいて、電車をおり、青いリュックのあとを歩いた。少年は、てくてくと歩いていく。今から塾に行くのだろうか…。しかし、駅を歩いてしばらく経つと、大通りからそれて、小さな脇道に入った。

たぶん、塾への近道だったのだろう。ただ、喜吉は、いままでの雑踏の中から突然、少年と2人きりになったような気がして、一瞬心がザワザワと踊った。

喜吉は、足を速めて、その少年の背後に近寄り、その頭を思い切りカバンで殴ってみた。

ガンッと大きな音がして、少年の身体が吹っ飛ぶ。その路地裏に建て込まれている雑居ビルのうちの一つの、金属製のドアに、少年の身体があたって、地面に落ちた。

「ひ……ひ」

少年は突然の事に、訳が分からないように首をキョロキョロと動かしていた。それをみて、喜吉は「子供がよく遊んでいる、タンバリンを叩き続けるオモチャみたいだ…」と思った。少年はただひたすらにキョロキョロと首を動かしているだけ。その仕草を繰りかえしている。

ただ、その様子を見ていると、喜吉は愉快でたまらないような気分になってきた。

「あははは……あははは……おかしいね…」

心の奥底から笑いがこみあげてきていた。こんなことは、久しくなかったような気がした。

そう、自分が結婚して、子をもってからは毎日が灰色で、一つも楽しいことなど無かった。

それが、今はこうしてたままらなく愉快な気分を味わうことが出来ている。

喜吉は、倒れている少年の髪の毛を鷲づかみにして、引っ張った。

「ひ……ひぃ……ひぃぃ……」

少年の悲鳴は、耳に心地よかった。雑居ビルたちのドアをガチャガチャと何度も開けようとしたけれど、どのドアも大抵鍵がかかっていた。ただ、中に一つだけ、非常階段のようになっていて、鍵のかかっていないドアがあった。だから、喜吉はその中に、少年の身体を押し込んで、自分も入った。

うす暗く、少年の手足の白さが浮き立っているように見えた。

「あ……あ……助けて……助けて……」

少年の顔は、蒼白になり、ガクガクと震えていた。喜吉は、その様子を見ていると、本当に愉快でたまらなくなってきていた。

「お……お金は……少ししかないんだ……。だ……だから、助けて…」

喜吉は、少年の恐怖に歪んでいる顔をじっくりと見つめてから、その頬を殴った。

「ひ……」

また、少年の身体が吹っ飛ぶ。今度は、コンクリートの非常階段で頭を打っていた。

「ひぃ…ひぃ」

少年の顔は、ちょうどなぐられた左頬がひどくさけて、血が出ていた。鼻も歪んでいたから、骨が折れたのかも知れない。しかし、喜吉は少年の顔が、自分の手によって歪んだのに、達成感を感じた。だから、今度は逆側の頬を殴った。少年の身体が、ボールのように、非常階段のあちこちに飛んでは、ゴンと音をたててぶつかる。

「あははは……はははは」

喜吉は笑いながら、何度もそうして少年の顔を殴り続けた。

そうしていると、少年の綺麗だった顔はくずれて、口のあたりは潰れたざくろのようになった。頬も酷くはれて、真っ赤ななっている瞼も切れて、血が滲んでいた。

もう、「綺麗な少年の顔」ではなくなっていた。そこにあるのは、潰れた唐揚げのような少年の顔だった。グチャグチャで、涙や血や唾液があちこちに着いている。

「ははは……きたねーな…。まるでごみみたいだ」

「ひ……い……いた……あぁ…」

喜吉は、革靴で、少年の頬を踏んづけて、グリグリと地面に擦りつけた。そうすると、頬や額が裂けて、また血が滲んでくる。

喜吉は、少年の手足が白くて細いのに眼をつけて、その衣服を引きはがすようにして脱がせた。

「ひ……あぁ……や…やめて…」

それでも、少年はかろうじてのこっている力を振り絞って、抵抗しよう…としていたけれど。そのあがらいさえも、ジタバタともがいているだけのようで、喜吉の眼には愉快に見えた。

「あははは……はははは」

非常階段に、喜吉の笑い声が反響していた。少年が、ガクガクとけいれんしているように震えている。喜吉は、少年のシャツ・ズボン・パンツと全てを脱がせた。そうすると、顔だけがザクロのようにはれあがった少年の真っ白い身体がコンクリートの上に横たわっていた。

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